「私の戦闘力は53万です」

あの一言に、恐怖し、絶望し、そして物語の行方に釘付けになった記憶がある人も多いはずです。
数字ひとつで世界の力関係が提示される——あれは、あまりにも完成された表現でした。
それほどまでに、数字は私たちを支配します。そして同時に、私たちは数字に意味を与えて生きています。
身長や体重。50メートル走のタイム。もらったチョコの数。テストの点数。偏差値。
幼い頃から、私たちはあらゆる指標で測られ続けてきました。
そして大人になった今、その関心は年収や資産といった、より現実的で逃れにくい数字へと移っています。
多いか少ないか。すごいかすごくないか。価値があるかないか。気づけば、ほとんどの物事を数字で判断するようになっていました。
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——そしてこの感覚は、そのまま釣り(趣味)の世界へと流れ込んでいきます。
数字を追い求める姿勢=悪ではない

数で言えば「リミットメイク」「つ抜け」「束釣り」。
サイズで言えば「キーパー」「尺越え」「ランカー」「ロクマル」「キロアップ」「10ポンドオーバー」など——
「何匹か」「何センチか」「何キロか」。
これだけ“数”を表す言葉がある時点で、釣りという遊びがいかに数字と結びついているかは明らかです。
それはもはや、ひとつの文化と言っていいでしょう。
そして、それは確かに楽しいものです。目標を設定し、それを追いかけ、更新していく。その過程にこそ見える景色があることも、私自身よく知っています。今もなお、その価値を否定するつもりはありません。
ただ一方で、その「数字を追い求める姿勢」の先にある「承認欲求」が引き起こしていると考えられる負の側面も、確かに存在します。

たとえば、SNSにアップするための写真撮影。
本来であればすぐにリリースされるはずの魚が、水面の上に留められる。
構図を整えて、メジャーを当てて、もう一枚。
そのあいだ、魚はずっと、水の外でじっと耐えている。
それがどれだけの負担になっているのか、正確なことはわかりません。
ただ、弱ってしまう魚がいるのも、きっと事実なのだと思います。
とある釣りのプロも「SNSの影響で、死んでしまう魚は増えていると感じる」と私見を述べています。
撮影や計測そのものを否定するつもりはありません。
ただし、写真撮影の時間やリリース魚の扱いについては、もう少し意識が向けられてもいいのではないか——そう感じる場面が少なくありません。
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だから私は個人の選択として、リリースする魚は測らないことにしました。
私の魚釣りと数字の歴史

かつては私も、数字を追い求めてきました。
友達と、小鮒を何匹釣ったかで競い合っていたあの頃から。
やがて憧れは、ブラックバスの「50UP」という数字へと変わっていきます。
中学生の頃だったと思います。釣り上げたバスは、とんでもなく大きな口と頭をしていて、「これは50UPだろう」と思いました。
けれど測ってみると43cmでした。落胆もありましたが、それ以上に「では50cmはどんなものなのだろう」と、さらに夢は膨らみました。
それから長いあいだ、私は50UPに出会えませんでした。そして何十年後かに、ようやくその数字を超えました。
心の底から嬉しかったです。数字に救われた瞬間だったのかもしれません。

しかし、しばらくしてガイド船で“50UP”を釣り上げました。確かに嬉しくはありましたが、想像していたほどの感動ではありませんでした。
それよりも、あのときの43cmのバスのほうが、ずっと記憶に残っています。
そのとき、なんとなくわかりました。数字とは、ただの記号なのだと。
たとえば、49cmや79cm。
「また挑戦する楽しみが増えた」と捉える人もいれば、「あと1cm足りなかった」と、どこかでがっかりしてしまうこともある。
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数字は、価値を与えてくれるようで、じつは何も保証してくれない。
むしろ、測った瞬間に、曖昧で豊かだった何かを削り取ってしまうことすらあるのだと知りました。
魚を測らなくなって

次第に、私はリリースする魚を測らなくなりました。
釣れた魚が何センチだったのかは、もうわかりません。でも、それでいいと思っています。
あの魚は、49cmだったかもしれませんし、50cmだったかもしれません。
けれど、もうどちらでもいいのです。
その瞬間に感じたことだけは、数字では測れないまま、ちゃんと残っています。
数字を追う釣りを否定するつもりはありません。むしろ、あの世界で積み上げている人たちを、少し羨ましく思っている自分もいます。
ただ、魚を大事にしたい気持ちと、数字を追い続けることへの疲れ。
その両方があったからこそ、今の私の選択があるのだろうと思います。

ずっとロクマル(60cmのブラックバス)に憧れていました。
そしてこれまで、一度も釣ったことはありません。
これから先、仮にロクマルが釣れたとしても、それに気づくことはありません。メジャーがないのですから。
たとえそれがレイクレコードでも、日本記録でも、世界記録でも——私には、わからないのです。
そんな釣り人生は、寂しいでしょうか。
もったいないでしょうか。
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でも、もしかしたら、あの魚はロクマルだったのかもしれない——そんなことを、いつまでも考え続けることができる。
そんな釣り人生も、悪くはないと思っています。
これは二択ではありません

これは、測るか測らないかの二択の話ではありません。
こういう話をすると、必ず極論が出てきます。
「針を刺しておいて優しさも何もないだろう」「キャッチ&リリース自体をやめれば?」「測るのをやめたとて……」と。
言っていることは、わからなくもありません。
ただ、極論はたいてい強すぎて、白か黒かでしか語れない。
そのあいだにあるはずの現実を、簡単に置き去りにしてしまう。
私が正義だ。私と同じように測らない側に来い——そんなことを言うつもりはありません。
ただ、リリースする以上は、それぞれができる範囲で、魚に対する配慮を持ってほしい。
言いたいのは、それだけです。
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配慮の形はいくらでもあります。
早く逃がすという意識を持つだけでも、結果は大きく変わるはずです。
だから私は、フィッシングメジャーを捨てました——
と書くと、少し格好がいい。

でも正確に言うと、捨ててはいません。売りました。
なにせ私は、明日を食いつなぐための、その二束三文が必要な人間です。
数字から距離を置こうとしているのに、結局は「いくらで売れたか」という別の数字に回収されているあたり、我ながらよくできていると思います。
メジャーを手放しても、結局、私は数字から逃れられない。
税金も物価も上がって、円の価値は揺らぐ。老後の不安も、結局は数字で語られる。今月の売り上げはいくらで、生活費はいくらで——気づけば、ずっと数字の中にいる。
トホホ。釣りの時くらい、数字を忘れたいよ。
完璧なまでにダサいオチがついたところで、あえて、使い古された言葉で締めてみようと思います。
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記録より、記憶に残る1匹を。
〜あとがき〜
再三お伝えしている通り、私は“測る行為そのもの”を否定しているわけではありません。
数字を追いかける楽しさがあることも、ちゃんと知っています。
レギュレーションがある釣りもありますし、キャッチ&イート派の方には、今回の話はあまり関係ないかもしれません。
……で、ここでメジャーを紹介するのも、なかなかどうかと思うのですが。
ひとつの選択肢として、置いておきます。
パズデザイン プロテクトメジャー各サイズ
プロテクトメジャーは、サイズ計測時に魚体を痛めないように考えられた、幅広タイプ。最大の特徴は、パッと置くだけで、両端が丸まらずに広げられること。
サイズは、40、65、120のサイズ展開。カラーも3パターンあり、使用するシチュエーションやアングラーの好みに合わせて選択できます。
本記事で使用されている画像の一部は、画像生成AIを使用して生成されたものでありフィクションです。登場する人物、団体、名称、場所などはすべて架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。
