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おいっ!釣具の転売ヤー!!!お前ら全員マジでさぁ——

欲しかったルアーが買えない。転売価格を見て腹を立て、メーカーや店にも文句を言う。

昔の私なら、きっとそうだった。でも今は、なぜか以前ほど怒れない。これは大人になったからなのか、それともただ摩耗しただけなのか。

転売騒動を入り口に、釣具への欲望と、歳を重ねることで変わっていった自分の心を振り返ります。

目次

おいっ!よく聞け!釣具の転売ヤー!!!

人気ルアーを買い占めて、釣りもしないくせに、箱のまま右から左へ流しているヤツらさぁ。

どうせ転売されると分かっているのに、まともな対策をしているように見えないメーカーもよぅ。

人気商品を欲しがる釣り人の足元を見て、いらない物まで抱き合わせるような売り方をしている店もよぉ。

転売ヤーも、メーカーも、釣具屋も、お前ら全員マジでさぁ——

マジでさぁ——

・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・

あれ……あの時オレ……いや、私は何を言いたかったんだっけ?

怒りというものは、勢いよく立ち上がったわりに、途中で用件を忘れることがあります。

玄関まで来たのに、何を取りに来たのか分からなくなった中年のように、怒りもまた目的地を見失うのです。

uoppay

転売ヤーを断罪する、スッキリ系の記事を期待していた方々、申し訳ありません。

これは、転売騒動を眺めているうちに、自分の中に、怒っている人、冷めている人、少し寂しがっている人が同居していることに気づいた、一人の中年釣り人の話です。

そこに“隙間”がある限り

小学生のなりたい職業にランクインするかどうかはさておき、資本主義の仕組みから見れば、転売という商売が現れること自体は不思議ではありません。

安く手に入れ、品薄によって値段が上がった市場で高く売る。そこに十分な利益が残るのであれば、その隙間を狙う人が出てくる。

メーカーが作る数と欲しい人の数、売られる場所と買いたい人のいる場所。そのすべてを、いつでもぴったり合わせ続けることはできません。

どこかに隙間が生まれ、それがお金になるなら、そこへ入り込む人も現れる。

理屈としては、そういうことなのでしょう。

けれど、自分が欲しかったルアーを目の前でかっさらわれたとなれば、そんな理屈で腹の虫が収まるはずもありません。

では、その怒りを誰に向ければいいのか。

転売する人なのか、十分な数を作れないメーカーなのか、販売条件をつける店なのか。それとも、高くても買う人なのか。

考え始めると、どうにも一人だけを悪者にはできません。

需要と供給のあいだに隙間があり、そこに価格差が生まれる限り、それを商売にする人は、おそらくいなくならない。

そう思うようになってから、私は少し考え方を変えました。

そのたびに誰かを探して怒るより、自分のほうが、その欲しさから少し離れてみる。

買えないなら、買わない。

高くなったなら、別のものを使う。

そうやって一歩引いてみると、あれほど腹を立てていた転売騒動も、以前ほど自分の問題には見えなくなりました。

uoppay

もちろん、生活必需品となれば話は別。物分かりのいいフリはやめて、たぶん普通に怒ります。

粉ミルクや薬が棚から消えた日にまで、需要と供給について冷静に語れるほど、私はできた人間ではありません。

欲しくなければ、転売ヤーは遠くなる

欲しいルアーがあるとき、転売ヤーは目の前にいます。

けれど、もう欲しくなくなれば、転売ヤーは急に遠くなる。

こちらの欲望が一歩下がるだけで、問題まで一緒に遠ざかっていくのです。

これは、私が達観したからでも、欲しい釣具を何でも買える経済力のあるおじさんになったわけでもありません。

高いものは今でも高いし、買えないものは普通に買えません。 

ただ、昔ほど「これでなければならない」と思わなくなった。

なぜか。

時間が経ったからでしょう。

もう少し身も蓋もなく言えば、老化とか、体力とか、そういう話でもあります。

ピンと来ない人は、子どもの頃を思い出してみてください。

ラジコンカーが欲しくて、おもちゃ屋の床にタコよろしくへばりつき、親にねだったことはなかったでしょうか。

では今、あの頃と同じ熱量でラジコンカーが欲しいでしょうか。

おもちゃ屋の床に寝転がってまで欲しい一台が、今もあるでしょうか。

たぶん、多くの人にはありません。

uoppay

ラジコンカーの価値が下がったわけではない。

こちら側が変わったのです。

ルアーに“魅了”されていたあの頃

「これでなければならない」と思わなくなった。

そう書いてみると、少し寂しい気がします。

中学生の頃、どうしても欲しいルアーがあって、正月の福袋に友達と並んだことがあります。

一月三日。朝の空気はまだ硬く、吐いた息が白く残っていました。

もらったばかりのお年玉を握りしめ、寒さに肩をすくめながらも、胸の内だけは妙に浮ついていた。今日はようやく、あのルアーが買える。そのことしか見えていませんでした。

福袋という名の在庫処分でも、抱き合わせ商法でも、何でもよかったのです。

欲しいものが、その袋の中に入っている。

それだけで十分でした。

今思えば、そのルアーが本当に釣れるのかどうかさえ、よく分かっていませんでした。

ただ、欲しかった。

雑誌で何度も眺めた、あの造形。あのカラー。名前を口にするだけで、少し特別な釣り人になれるような気さえしていました。

それを手にしている自分を想像すると、腕前まで少し上がったように思えたのです。

もちろん、ルアーをひとつ買ったところで、釣りが急に上手くなるわけではありません。

けれど、中学生の想像力に、そんな細かな現実は通用しません。

新しいルアーを手に入れれば、まだ見たことのない魚が待っている——そんな夢を見ていたのです。

uoppay

けれど、あのルアーに本当に魅了されていたのは、魚ではなく、私のほうだったのだと、ずっと後になって気づきました。

怒れるほど、欲しいものがある

歳を取ると、体力も時間も気力も、どうやら無限ではなかったらしいと気づきます。

しかも厄介なことに、怒るのにもそれなりの体力がいる。

世の中を見渡せば、釣具の転売よりも、こちらの暮らしにもっと直接、そして律儀に穴を開けてくるものがいくつもあります。

たとえば、社会保険料。

あれほど毎月きちんと人の財布から存在感を示してくるものを前にすると、ルアーが定価より少し高く売られているくらいのことで、本気で憤る余力がだんだんなくなってきます。

そんなわけで、転売ヤーに本気で怒っている釣り人を見ると、私はどこか懐かしく、少し羨ましいような気持ちになります。

本人たちは、なんのこっちゃと思うでしょう。

欲しいルアーが買えないのだから、普通に腹が立っているだけです。転売価格を見て怒り、メーカーや店の売り方に文句を言い、どうして自分が買えないのかと納得できずにいる。

けれど、その怒りの奥には、まだ熱があります。

欲しい道具があり、それを使って行きたい釣りがあり、その先の景色を想像している。

uoppay

怒れるほど、欲しいものがある。

それは、今の私には少しまぶしく見えるのです。

成長したのか、摩耗したのか

今回書きたかったのは、転売ヤーを裁く話ではありません。

高くても買う人を笑いたいわけでも、怒っている人を冷やかしたいわけでもない。まして、怒れなくなった自分を、物分かりのよい大人として飾るつもりもありません。

人間は変わらない、とよく言います。

けれど、川の流れが石を削るように、時間は人の心を少しずつ変えていきます。

気づけば、昔あれほど尖っていた部分は丸くなり、かつて自分が怒りを向けていた大人と、よく似た形になっている。

二十年前には黒だと言い、十年前には白だと言い、今ではグレーだと言っている。

それでも、すべて同じ川を流れてきた、同じ人間です。

たった一人の中からさえ、時間が経てば違う答えが出てくる。

そう考えると、転売について、誰にでも通用するきれいな結論を出すことの難しさを、あらためて痛感します。

私は成長したのか。それとも、ただ摩耗しただけなのか。

その答えは、とうにマズメ時を過ぎてしまった湖みたいに、はっきりとは見えません。

ただ、転売ヤーに本気で怒っている人を見ると、少し羨ましくなる理由だけは、なんとなく分かるようになりました。

そのルアーを手に入れれば、次の釣りが変わる。投げた先の水面から、まだ見たことのない魚が現れる。そんな未来を、本気で信じている。

だから買えないことが悔しいし、誰かに、その未来まで横取りされたような気がする。

怒りとは、欲望がまだ元気である証拠なのかもしれません。

今の私が愛おしく思うのは、買えなかったルアーそのものではない。

それを手に入れれば何かが変わると信じていた、夢の最中の自分です。

とはいえ、そこそこ摩耗した私にも、ひとつだけ救いがあります。

今も釣りをしていることです。

相変わらずルアーを買い続け、“終わらないラスト一投”を投げ続けている。

さすがに転売価格へ手を伸ばすほどの情熱はありません。

それでも、新しいルアーを前にすると、

「これを投げたら、何かが起きるかもしれない」

と、まだどこかで考えている。

uoppay

さあ、今度の週末は、それをどこへ投げに行こう。

私に必要なのは、転売ヤーに怒っている時間よりも、次の釣行をあれこれ考える時間です。

本記事で使用されている画像の一部は、画像生成AIを使用して生成されたものでありフィクションです。登場する人物、団体、名称、場所などはすべて架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。

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