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「面白くない釣り」が未来を潰す?ただの釣り方が、なぜ“業界の未来論”にまで飛躍するのか

「面白くない釣り」が未来を潰す?ただの釣り方が、なぜ“業界の未来論”にまで飛躍するのか

「こんな釣り、面白くない」

その感想が、なぜ「誰もプロに憧れない」「バス釣りの未来を潰す」という話にまで飛躍するのでしょうか。

ライブスコープとマイクロベイトをめぐるトーナメント論争を入り口に、勝つための釣りと“魅せる釣り”、そして釣り人の美意識に後付けされる理屈について考えます。

本ページはアフィリエイトプログラムを利用しています。

目次

憧れの対象が、なぜかっこいいのか

憧れの対象が、なぜかっこいいのか。

反対に、自分が嫌いなものが、なぜあれほどかっこ悪く見えるのか。

面白い、つまらないも同じです。

それを、誰にでも通用する理論で説明できるでしょうか。

私はできません。

美意識とは、そもそも感覚だからです。

ビッグベイトを豪快に投げ続ける姿をかっこいいと思う人もいれば、ライブスコープに映った一匹を追い、マイクロベイトを正確に送り込む釣りに技術の高さを感じる人もいる。

どちらが本当にかっこいいのか。

そんな答えは、最初から存在しないと思っています。

ところが先日、とあるバストーナメントをめぐり、この「かっこいい(面白い)釣り」が議論になりました。

湖上には船団ができ、選手たちはライブスコープを見ながら魚を探し、マイクロベイトをバーチカルに落としていく。

その光景に対して、「つまらん釣り」「かっこ悪い」「こんな釣りに誰が憧れるんだ」という声が上がりました。

ここまでは、何の問題もありません。

「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」

——と、元ネタもよく知らない古めのネットミームを持ち出したくなる気持ちは、ここではグッと抑えます。

好き嫌いや、かっこいい・かっこ悪いは、まず感想です。

感想に反論しても仕方がないので、「なるほど、あなたにはそう見えたのですね」と静かに処理しておけばいい。

問題は、その感想が、いつの間にか社会科学の顔をし始める、その先です。

「こんな釣りでは誰もバスプロに憧れない」

「プロスポーツなのだから、もっと魅せる釣りをするべきだ」

「トーナメント(セコ釣り)がバス釣りをつまらなくした」

そして、いつの間にか話はバス釣りや業界の未来にまで広がっていきます。

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え、なんでなん?

選手はただ勝ちに来ている

そもそも、トーナメントに出場している選手は何をしに来ているのでしょう。

基本的には勝ちに来ています。

決められたルールの中で魚を釣り、より良い成績を残す。

ライブスコープを見たほうが勝てると思えば見るでしょうし、マイクロベイトを魚の目の前へ落としたほうが釣れるのであれば、それを選ぶ。

むしろ競技者としては当然です。

そこで、「プロスポーツなんだからダサいプレーをするな」という意見が出てきます。

この気持ちも、まったく理解できないわけではありません。

プロスポーツには勝敗を競う側面と、観客に見てもらう興行としての側面があります。

だから、「もっと見ていて面白い競技にしてほしい」「憧れるような釣りを見たい」という観客の要望自体は、あっていいと思います。

ただ、それをそのまま選手に向けるのは少し違う。

「勝てるけれどダサいから、その方法は使うな」

となれば、選手はルールには書かれていない美意識まで背負わされることになります。

しかも、その「ダサい」は誰が決めるのでしょう。

船団の中で魚探を凝視する釣りをダサいと思う人がいる一方で、一日ビッグベイトを投げてノーフィッシュで終わる姿を「非効率な自己満足」と見る人もいるでしょう。

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結局、ここでも最後に残るのは美意識です。

魅せる大会にするかどうかは、当事者が決めればいい

もちろん、大会をもっと人気のあるものにしたいのであれば、「見ていて面白くない」という声は無視できないでしょう。

プロスポーツとして、勝敗だけでなく「魅せること」まで重視するのか。今回のような議論をきっかけに、その方向性をあらためて考えることはあっていいと思います。

ただ、実際の大会運営では、選手やスポンサーとの兼ね合い、ルール、新しい技術をどこまで認めるのかなど、外からは見えない事情もあるはずです。

変えたくても簡単には動かせないことがあるのかもしれません。そう考えると、なかなか大会運営も大変そうです。

それでも、最終的に決めるのは当事者たちです。

uoppay

参考にすべきだと思えば変えればいいし、自分たちの目指す競技とは違うと思えば変えなくてもいい。

その結果、支持されるのか、離れていく人が増えるのかは、参加する選手や観客の選択によって示されていくはずです。

ぶっ飛ばすのが好きなのさ

ぶっ飛びルアーに、ぶっ飛びリール。

釣り人——というと少し主語が大きすぎますね。

一部の釣り人は、どうやら議論までぶっ飛ばすのが好きなようです。

「俺はこの釣り、かっこ悪いと思う」

本来は、それで終わる話です。

ところが、そこに「なぜならば」と理由をつけ始める。

たしかに、「嫌いだから嫌いです」で終わるより、理由を並べたほうが理性的で頭が良さそうに見えます。

でも、そこが根本的に間違っている。

これは最初から、「かっこいい」「かっこ悪い」という感情と美意識の話です。

大会人気への影響を、視聴数や参加者の推移などから検証するなら議論になるでしょう。しかし、「俺にはかっこ悪く見える」から「誰も憧れない」、さらに「業界が衰退する」までつなげるのは、分析というより飛躍です。

マイクロベイトとライブサイトの話をしていたはずなのに、気づけばバスフィッシング業界全体の未来を心配している。

ずいぶん遠くまで飛んだものです。

では、なぜこの手の炎上は何度も繰り返されるのでしょう。

ダウンショットリグが登場した時も、ライブスコープが登場したときも、「そんなものは本来のバス釣りではない」「昔のほうが面白かった」という話は何度も出てきました。

おそらく理由は単純です。

私たちは、何かを好きになる前に、その理由を論理的に検討しているわけではありません。先に「好き」「嫌い」「かっこいい」「かっこ悪い」という感覚があり、そのあとで、自分がなぜそう感じたのかを説明しようとする。

言ってしまえば、自分の信仰に、あとから理屈を与えている。

しかもこれは批判する側だけではありません。

「ライブスコープを使いこなせない古い釣り人が嫉妬しているだけだ」と決めつけるのも同じです。

uoppay

どちらも、自分の美意識を出発点に相手を説明している。

だから、何度議論しても終わらないのだと思います。

「私は好き」「私は嫌い」で、十分ではないか

私自身にも、もちろん「こういう釣りはかっこいい」と思うものがあります。

ただ、それを「本来のバス釣り」と呼ぶつもりはありませんし、その美意識に従わない釣り人が、バス釣りの未来を壊しているとも思いません。

自分の「好き」や「嫌い」に、わざわざバス釣りの未来まで背負わせる必要はないのです。

uoppay

「私は好き」「私は嫌い」そのくらいで、十分ではないでしょうか。

変わる時代の中で、何が残るか。

バス釣りを取り巻く環境は、ずいぶん変わりました。

外来魚をめぐる法律が整備され、釣り場を取り巻く状況も変わった。釣り人の数も、年齢層も、遊びに使える時間やお金の感覚も、昔とは同じではありません。

もちろん、釣り方も変わりました。

ライブスコープが登場し、マイクロベイトを使った釣りも当たり前になってきた。

でも、今のバス釣りは、どれかひとつの変化によってできたものではないはずです。

いろいろなものが少しずつ変わり、その積み重ねの先に、現在があります。

だから、ひとつのリグや魚探だけを取り出して、「これがバス釣りをつまらなくした」「これが未来を潰す」とまで話を飛躍させるのは、少し無理があるように思います。

それでも、今回の議論に加わっている人たちの多くは、きっとバス釣りが好きなのだと思います。

好きだからこそ、今の釣りに違和感を覚える人もいるし、新しい釣り方に面白さを感じる人もいる。

同じものを大切に思っていても、何を残したいのか、どんな形で続いてほしいのかは違う。

SNSを眺めていると、今回の騒ぎも、そんなすれ違いのひとつに見えてきます。

uoppay

とはいえ、バス釣りの未来を心配する声が、これほど賑やかにぶつかり合う光景は、外からどう見えているのでしょうかね。

釣り人がぶっ飛ばすのは、ルアーくらいがちょうどいい。

感想から業界の未来まで飛ばすより、ルアーを飛ばしたほうが魚に近づけることもある。

私がいま少々気になっているのが、25アンタレス。

バス釣りの未来がどうなるかはわかりませんが、釣り人の物欲だけは、どうやら簡単には衰退しそうにありません。

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