釣れなくても楽しいは、本心か

バス釣り歴はどのくらいですか?
そう聞かれると、少し言葉に詰まります。
単純に始めた年から数えればいいのか。ほとんど水辺に立てなかった時期まで、堂々と「歴」に含めていいものか。
反対に、短い期間でも毎週のように竿を振っていた人の方が、よほど濃い時間を過ごしているのかもしれません。
だから、正しい数字があるとするなら、私はこう答えるのが一番しっくりきます。
ブラックバスに憧れ続けて、30年以上の釣り人です。
たくさん釣ってきたわけでも、誰かに自慢できる実績があるわけでもありません。むしろ、釣れた魚の数よりも、まだ見ぬ魚影を追い続けてきた時間の方が長い。
それでも、水面を割って出る一発の気配や、雑誌や映像の中でまぶしく見えたアングラーの背中、部屋の隅で静かに出番を待つルアーたちは、ずっと私の中に棲みついていました。

“楽しさ”を人に伝えることは難しい。
言葉を覚えてから40年以上経ちますが、いまだにそんな感想を抱いています。
ましてや、自分ですら本心なのか疑っている「釣れない釣りの楽しさ」など、いったい誰に伝わるのでしょう。
それでも、どうせ伝わらないと半ば諦めながら、言葉を投げてしまう。
どうせ釣れないと思いながら、ルアーを投げるのと同じです。
前置きが長くなりました。
もう乗りかかったローボート。くたびれたレンタルバッテリーで回すエレキより遅い進みですが、ここまで来たら、もうしばらく同船願います。

先日、10年来の友人とバス釣りに行きました。
舞台は、戦後間もない頃には進駐軍の兵士たちもバス釣りを楽しんだと伝えられる、歴史ある人造湖。
私はアンバサダーを手に、トップウォーターだけを投げる釣り。
友人は、“完全無欠のジャパンスタイル”とでも呼びたくなる、90年代のバス釣り少年たちの憧れを一身に集めたようなタックルを携えていました。
湖の歴史に合わせたわけではありませんが、二人とも、ずいぶん昔の夢を積み込んでの出船です——。

で、釣れたのかって?
そんなこと、聞くだけ野暮ですよ。
帰着した桟橋では、釣果の話で賑わうアングラーたちを横目に、別に悔しくなんかないですよ、という顔で道具を片付けます。
それが僕らのバスフィッシング。
かなり久しぶりのバス釣りだったからなのか、それとも重いタックルを一日振り続けたせいなのか。翌日には、腕がきっちり筋肉痛になっていました。
しかも、その疲れは律儀に数日居座りました。

釣れなかった。
疲れた。
それなのに、不思議なほど楽しかった。
釣れなかった悔しさよりも、一日を投げ切った妙な達成感のようなものが残っていました。
旅は、どこへ行くかより誰と行くかが大事だと言われることがあります。今回の釣行も、まさにそうだったのかもしれません。
あるいは、天気や空気や会話の調子が、たまたまよかっただけなのかもしれません。
理由を探せば、いくつでも見つかります。
けれど、帰り道に残っていた感情は、もっと単純なものでした。
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ああ、「釣れなくても楽しい」とは、こういうことなのかもしれないな、と。
炎は赤から、熾火へ

かつての私は、バスが思うように釣れないと、仕事にまで身が入らなくなるような人間でした。
バスを釣るためなら、往復5時間の移動も苦にならない。元旦からだって竿を振る。
夜の高速を釣り場へ向かって走る時間だけが、自分の人生を前へ進めているような気がしました。
もっと釣りたい。もっと大きな魚を釣りたい。当時の私は、まだ見ぬ一匹を燃料に、夢の中を走っていました。
そして、少し力の抜けた大人たちの釣りを眺めては、「それって、妥協じゃん」とさえ思っていたのです。
ところが今は、少し様子が違います。

バス釣りへ出かける回数は、ずいぶん減りました。狙う季節まで勝手に短くし、釣り方も自分から狭めています。
「それって、老化じゃん」
まあ、そう言われれば、かなり反論しづらい。
それでも、少しくらい格好をつけさせてもらうなら、熱が冷めたわけではないのです。
派手に燃え上がっていた赤い炎が、時間をかけて熾火に変わった。そんな感じがします。
釣りたいという衝動が消えたわけでも、魚への憧れを失ったわけでもない。
ただ、その熱をどこへ向けるのかが、少しずつ変わってきました。
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釣果を増やすことよりも、自分が納得できる釣りを残したい。
今は、その感覚の方が少しずつ強くなっています。
縛りプレイをなんと呼ぶ?

私のタックル選びは、かなり見た目重視です。
もちろん、スペックをまったく見ないわけではありません。それでも最後に選ぶ理由は、必ずしも数字ではない。
かっこいいと思えるか。持っていて気分が上がるか。その道具で釣りをしたいと思えるか。
今は、その感覚をかなり大事にしています。
ルアーも、トップウォーターにこだわりたい気持ちが強くなりました。
しかも、雑誌やネットのランキングに入るような「釣れるトップ」ばかりではありません。
見た目が好きか。水面に浮かべたときに気分が上がるか。
ずいぶん曖昧な基準です。

釣果だけを考えれば、もっと合理的な選択肢はいくらでもあります。
それでも私は、水面に出る魚を待ちたい。
昔、別の友人に、私のルアーを「バカみたいなルアー」と笑われたことがあります。
たしかに、冷静に見ればそうなのかもしれません。
けれど私は、そんなバカみたいなルアーに夢を託し、何もない水面へ投げ続けている自分が、案外好きなのです。
ルアーを買うときも、魚そのものを買っているわけではありません。そのルアーで出会えるかもしれない景色を買っているのだと思います。
夢を見て買い、期待を込めて投げる。

そうやって見た目で道具を選び、トップだけに絞れば、釣れる魚は減るでしょう。
けれど、選択肢を減らしたからこそ、「これで出なければ仕方がない」と思える一投は、少しだけ濃くなる。
私の中で釣りとは、制約の遊びです。
竿と糸と針を使い、決められた道具や釣り方の中で一匹を目指す。その不自由をどこまで残し、どこを道具や技術で広げるのかは、人によって違います。
限られた道具で一匹を目指す人もいれば、テクノロジーによって水中の解像度を上げ、釣りの可能性を広げる人もいる。
最近は、その違いが、どちらの釣りが上かという話にまで広がることがあります。
けれど、本来は優劣ではなく、面白さを感じる場所が違うだけなのでしょう。
私の場合は今、釣りの幅をあえて狭めることに面白さを感じています。
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美意識と言えば、少しかっこよく聞こえます。
身も蓋もなく言えば、好き好んで不自由を背負っている、もの好きなのかもしれません。
出戻りトップウォータープラッガーの現在地

これから先、釣りに行ける回数は無限ではありません。
歳を重ねれば、時間の使い方も体力も変わっていく。だから最近は、釣果を積み上げることよりも、釣りをしている時間そのものを楽しみ、自分の中に長く残る一日を過ごしたいと思うようになりました。
とはいえ、私はそれほど意志の強い人間ではありません。
20代の頃にもトップウォーターに傾き、見た目のいい道具に惹かれながら、一度はそこを離れています。それなのに今、また戻ってきた。
いわば、出戻りトップウォータープラッガーです。
だから、この記事に書いていることは、宣言というより証言に近いのだと思います。
これは、トップウォーターの布教ではありません。
釣りの幅を狭めることが、大人の釣りだと言いたいわけでもない。水面だけを見つめる釣りが、ほかより美しいと説くつもりもありません。
ただ、今の私はたまたまトップウォーターに戻り、何も起きない時間まで含めて楽しんでいる。その心境を書き残しているだけです。
そもそも私は、布教する側に立てるほど信心深くない。
今はトップだけでいいと思っていても、何も起きない日が続けば、きっと水面下が恋しくなるでしょう。
YouTuberが「これ、めちゃくちゃ釣れます!」「持ってないヤツ、損してます!」と景気よく魚を掛けていれば、翌日にはそのルアーがカートに入っているかもしれません。
「釣れなくても楽しい」は、単なる痩せ我慢なのか。
たぶん、少しはそうです。

釣れなければ悔しいし、トップが好きだとか、制約がある方が面白いとか、あとから理由を並べて自分を納得させている部分もあるでしょう。
それでも、あの日、釣れなかったのに楽しかったことまでは疑えません。
一日投げ切って、結局何も起きなかった。それなのに帰り道では、また行きたいと思っていました。
理屈は、あとからいくらでも付け足せます。
けれど、「また行きたい」という感情まで、あと付けだったとは思えないのです。
今の私は、自分で決めた縛りの中で釣りをしているつもりです。
本当に自分で選び取ったのかは分かりません。意志の力でここへたどり着いたような顔をしながら、実際には年齢や暮らしに運ばれ、たまたま流れ着いただけなのかもしれない。
そして、その偶然や、もしかしたら妥協だったものまで、いかにも自分で選び取った美しい物語のように語りたい自分がいるのでしょう。
この記事が、なによりの証拠です。

「トップはつらいよ」とは、よく言ったものです。
だいたい何も起きません。ようやく出ても乗らず、乗ったと思えばバレる。
人生訓にするには、少々救いがなさすぎます。
それでも、たまに楽しい。
本当に、ごくたまに。
私は今、たまたまその場所に立っています。
あなたの釣りには、あなたの楽しさがあるのでしょう。
そして、あなたが心から楽しそうに竿を振っていれば、私はきっと、その釣りも真似します。
uoppay
でも、そのときは、どうか怒らないでください。
撮影:uoppay
ヘドン ラッキー13
| 全長(cm) | 9.44 |
|---|---|
| ルアー重量(g) | 17.4 |
最後に、あの日の相棒を少しだけ紹介しておきます。
ヘドン ラッキー13。
「めっちゃ釣れます!」
「持ってない奴、損してます!」
……なんてことは、私の口からは言えません。
でも、100年以上も残り続けているのなら、きっと何か理由があるのでしょう。
私は、このいかにもルアー然とした姿を眺め、ラインの先に結んでいるだけで、ちょっとニヤニヤしてしまう。
釣れるかどうかは、その次です。
持っているだけで釣りに行きたくなる。
今の私には、それで十分です。
