“あえて”酷いタックルバランスで釣るワケ

僕は、あえてバランスの崩れたタックルで釣りをするようにしています。
きっかけは、日々の釣行の中で「こうした方が魚が釣れて、しかももっと楽しめるんじゃないか?」と感じ、実際に試してみたところ、思った以上の答えが返ってきたことでした。
今回は、あえて酷いタックルバランスで釣りをしながら、それなりの釣果を得てきた僕が、釣り人の永遠のテーマともいえる“タックルバランス”について書いてみたいと思います。

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正直、こうした普遍的なことを書くのは恐れ多いのですが、ひとつの参考として読んでいただき、皆さんの釣行に少しでも役立てば幸いです。
※崩すのは基礎を知ってから

タックルバランスとは、つまり“調和”です。
ロッド、リール、ライン、リーダー、ルアーの重量や強度など、すべての要素のバランスが整うことで、それらがひとつの生命体のように機能し始める——僕はそう捉えています。
そしてその上で、改めて強く言っておきたい。
タックルバランスはめちゃくちゃ重要で、釣りの基礎であり基本です。
最初に必ず学び、理解すべき部分だと思います。
実際、タックルバランスが崩れまくっている人もいますが、「それでは釣れんだろ……」と心の中でツッコんでしまう自分がいるほどです(笑)
余談ですが、僕はドラマーでもあります。
ドラムは音楽のリズムを支える重要な柱で、ここを自分勝手に独自で叩いてしまうと、アンサンブルもグルーヴも崩れ、“聴ける音楽”として成立しません。

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釣りに限らず、すべての物事で一番大切なのは基礎。
そうした考え方はまったく同じだと理解した上で、僕はあえてタックルバランスを崩すようにしているのです。
タックルバランス崩しの一例

タックルバランス崩しでよく使っているのは、メジャークラフトのソルパラ・アジングモデルです。
これに1000番台〜2000番台のリールを付け、PEは0.8号〜1.5号、フロロリーダーは10lb〜25lb。ルアーは3g〜15gほどのミノーを中心に、メタルジグやフリーリグなども扱っています。
ちなみにこのロッドの適合ルアーは0.6〜10g、PEは0.1〜0.6号。

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アジングロッドと言っても中弾性で、掛け調子のようにピンピンと弾く感じではなく、程よくしなりながら魚の引きをいなしてくれるタイプです。

このタックルで、年無し含むチヌをかなり釣っていまして、チニングに開眼した2025年は50枚ほど獲りました。ルアーはトップやフリーリグが中心。
さらに、現在はネットを使わないスタイルを探求中のため、基本は“ぶっこ抜き”で勝負しています。

過去の最大サイズは83cmのヒラスズキ。
さすがに「これは無理のある相手を掛けちゃったな……」と思いましたが、無事に獲れたうえにスリリングで楽しすぎたことから、僕の“タックルバランス崩し”の旅はここから本格的に始まりました。
今ではランカーヒラスズキを何本も獲っている、じつは侮れない実績あるタックルセッティングになっています。
もはやこのタックルでアジを狙うことはなくなり、本末転倒っぷりを発揮(笑)
カマスからアオリイカ、シーバス、シオ、ハマチなども釣れる、僕にとってのバーサタイルタックルへと昇華したのです。
メジャークラフト 24 ソルパラ アジング SPAJ-S682L
| 全長(ft) | 6'8" |
|---|---|
| 継数 | 2本 |
| ルアー | 0.2-3g |
| ライン | 0.8-2.5lb |
| PEライン | 0.1-0.4号 |
| 標準自重 | 72g |
| アクション | EX.Fast |

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僕が使っているモデルは廃盤となっていまして、現行の24年モデルはこちら。
スペックを見る限り、以前よりもアジングの専用性が高くなっている様子です。
タックルバランスをなぜ崩すのか?

では、そのうえでタックルバランスを崩すことで得られるメリットとは一体なんなのか?
「単純に、タックルセッティングをきちんとして釣った方が良くない?」
そう感じる方も多いと思います。
しかしじつは、正しいセッティングだけで釣りをしていると見えてこない部分が、タックルバランスを崩すことでいくつも見えてくるのです。
“新しい釣り”が見えてくる

セオリーとされるセッティングは調和が取れていて、確かに理想的です。
しかし、その枠に縛られてしまうと、釣りがどうしても単調になりがちです。
例えば「〇〇はこういうルアーで釣るものだ」と、自分の中で勝手に決めつけてしまい、ルアーフィッシングが本来持つ“無限の可能性”を、固定観念によって狭めてしまうことがあります。
けれど、タックルバランスを崩してみると、選ぶルアーの幅が自然と広がり、水中から返ってくる反応も変わり、思考が動き出す。
そんな発見が、タックルバランスを崩すことで見えてくるのです。

タックルバランスが崩れていると、不思議なことに「この際あれも試してみようか」と、いつもより遊び心が湧いてきます。
普段なら選ばないルアーや、リーダーの太さ、さらには結び方まで試してみたくなる。つまり、バランスを崩すという行為は、ひとつの“実験”でもあるのだと感じています。
整いすぎた釣りにはない不確かさが、思考を柔らかくし、フィールドとの対話を豊かにしてくれるのです。
その結果、むしろ魚がよく釣れるようになることさえあります。

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釣りの魅力は、正解を追い求めることではなく、その過程で生まれる発見や偶然にある——。
タックルバランスを崩すことは、そんな原点を思い出させてくれる行為だと感じています。
気づかなかったことが見えてくる

例えばルアー操作では、「オーバーサイズを使うと違和感しかない」なんて場面が実際に多くあります。
しかしその“違和感”こそが、タックルバランスの大切さを改めて理解するきっかけになり、ルアーの特性をより深く知ることにもつながります。
つまり、“正しいタックルバランス”という正解の中だけで釣りをしていると、失敗例や良くない例を経験しないまま過ごしてしまうということです。

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「チヌは不味いから食べない」という話を耳にタコができるほど聞きますが、実際に食べたことがあるか尋ねると「ない」という人が意外と多い。
僕は、タックルバランスの話もこれと少し似ているのではないかと感じています。
出会えなかった魚に出会える

先ほどのヒラスズキの話が良い例ですが、タックルバランスを崩していると、時には思わぬ魚に出会うことがあります。
50cmくらいのヒラが釣れたらいいな──そんな気持ちでアジングタックルを持ち出した日のこと。
念のため大物に備えてラインはPE1.5号、リーダーは6号にセッティング。
6cmほどの渓流ミノーをドリフトさせている最中に、ドーン! と一発この魚。最高でした。
これは「正しいアジングタックル」では絶対に獲れなかったし、かと言って「正しいシーバスタックル」でも掛けられなかったんじゃないか?
そんな一本だったと思います。

フックは伸ばされましたが、ウルトラライトタックルだったからこそ細軸フックでも獲れた、ある意味で“奇跡の一本”でもありました。
こうした大物に限らず、タックルバランスが完璧すぎると、釣りはどうしても“計算された世界”の中だけで完結してしまう印象があります。
しかし、自然の中では思いどおりにならないことの方が多い。

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だからこそ、アンバランスや誤差が、魚との思いがけない出会いを生んでくれるんじゃないか──そんなふうに感じています。
カオス理論という概念があります。
一見ランダムに見える現象にも、じつは法則性があるというものです。
釣りも同じで、すべてを完全にコントロールすることは不可能。
しかし、その“わずかなズレ”を受け入れながら流れの中で調和を見出す。
そこにこそ、「人間の直感」や「感性」が生きるのではないでしょうか。
タックル一本で他魚種が狙える

僕はタックルバランス崩しを覚えてからというもの、タックル一本で釣りをすることが多くなりました。
狙える魚は、メッキ、カマス、カサゴ、メバル、アオリイカ、チヌ、シオ、ハマチ、シーバス、ヒラスズキなどなど。
小物から大物まで、年中この一本で楽しもうと思えば楽しめます。
もちろん、アジを専門的に狙うときは高感度なアジング専用タックルを使いますし、青物をより狙いたいときは強いタックルを選ぶことも。

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つまり、これは白か黒かの話ではありません。
タックルバランスを崩しているこの一本は、あくまで僕のタックル群の中の“ひとつの例”に過ぎない、ということです。
デメリットはない?

個人的にデメリットは感じていませんが、あえて挙げるなら“専門性に欠ける”点でしょうか。
例えばアジングはゲーム性が非常に高く、高感度ロッドで掛けていく釣りです。
そうしたアジ狙いのような特化したシチュエーションでは、このラインが太いタックルは裏目に。
以前、隣でアジを釣りまくっている人を横目に、僕はカマスを釣りまくっていたこともありました(笑)

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どちらが良い悪いではなく、そこは個々人の感覚で、人それぞれ釣りの楽しみ方があるのだと思います。
タックルバランスは“個性”なのかもしれない

こうしてタックルバランスを崩していることについて書いてきましたが、タックルバランスというのは、一見“正解”があるようで、じつはないのかもしれません。
理論上の最適解やメーカーの推奨は確かに存在します。
しかし最終的には、その人の感覚や経験によって“正解の形”は変わっていくように感じます。
同じ魚を狙っていても、使う道具、力の抜き方、反応の見極め方は人それぞれ。
つまりタックルバランスとは、普遍的な理屈の上に成り立ちながらも、個々の感性が介入する“個性の領域”なのだと思います。
だからこそ釣りは面白い。
完璧な理論の中にはない偶然や発見が、少しのズレから生まれていく。
僕にとってタックルバランスは、技術と言うよりも“自分という釣り人”を映し出す鏡のような存在なのかもしれません。

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皆さんのタックルバランスはどうでしょうか?
一度見直してみると、思いがけない発見があるかもしれませんよ。





